2009年10月07日
地域を変えれば全国が変わる-病児保育の駒崎氏が講演
コミュニティしんぶんの紙面は限られているので、載せきれない原稿は多い。そこで最近取材した話を紹介したい。(編集部長・渡部仁)
東北公益文科大学では今年度、毎週と言っていいほど、各種の公開講座や講演会を精力的に開催している。黒田学長の意気込みが伝わるが、慶應義塾大学の人脈を基調とした講師陣は魅力にあふれ、庄内の人たちが最前線の研究者や経営者の話を直接聞き、さらに質問もぶつけられる好機となっている。
その一つ、既存の施策では解決できない地域社会の課題を企業的な手法で解決しようという「社会起業家育成講座」の第一回講演会の内容を掲載する。本来記事の予定だったので、記事体での掲載はご容赦を。

東北公益文科大学などでつくる社会起業家育成研究会(会長・石田英夫同大教授)の「社会起業家育成講座」が十月一日に開講し、病気の子どもを預かる「病児保育」のNPO法人「フローレンス」(東京都新宿区)の代表・駒崎弘樹氏=写真左から二人目、左端は石田教授、受講生と懇談中=が、酒田市の公益ホールで講演した。以下は駒崎氏の講演要旨。
フローレンスは、風邪で急に熱が出たなど、保育園では預かってくれない子どもを、「レスキュー隊員」と称する育児経験を持つ会員の自宅で預かる活動をしている。
多くの保育園は病気になった子どもを預からないため、働く母親にとって病児保育は「育児界の闇」という存在だった。そうした福祉の分野に経営的手法で変革をもたらしたのがフローレンス。
施設を持たずに地域の会員宅を使うことで運営経費を減らし、共済のような会員制による月会費の徴収によって経営を安定させ、経済的に自立した運営をしている。会費制は利用者の負担も減らした。現在東京二十三区で展開し、この十月からは千葉県に広げ、来秋には大阪でもスタートする予定。
最近は外資のJPモルガン、そしてリクルートや松竹などの法人が、人口減による人材難を見通して契約を結んでいる。JPモルガンでは「社員教育に一千万円をかけているのに、出産によって退職してしまうのでは、これから利益をもたらすべき人材を失うこと。これでは投資に合わない」として、安心して育児と仕事を両立できる環境を確保するために契約した。
フローレンス設立のきっかけは、ベビーシッターをしていた駒崎氏の母親が、突然契約を解除されたこと。聞けば、面倒を見ていた双子が相次いで病気になり、看護のために会社を休んだ双子の母親が解雇されたからという。
理不尽な現実に、駒崎氏は病児保育の現状を調査。多くの母親に合い、そのニーズの多さに事業化できると確信する。既存の育児関係者には無理だと言われながら、二年を経て二〇〇五年四月にフローレンスを設立した。
調査で浮かび上がったのは①子どもが病気になると会社を休まなければならない②子どもを看護するための休暇制度が欲しい③病気の子どもを預かるところがほしい―という声が多いことだった。
実際、全国に二万以上の保育園がある中、病児保育に対応している施設はわずか六百カ所しかない。
少ない理由は、病児保育施設は①経済的に自立できない②厚労省の補助金を使うと、十時間預かっても託児料を二千円しかもらえず、逆に制約が増える―からだった。都内で計算すると、一時間当たり三千五百円の託児料をもらわないと、人件費や施設運営費などの経費面から経営的に成り立たない。
このため、慶應大学で経営学を学んだ経験を生かし、新しいビジネスモデルを作って解決した。それは冒頭にも記した①施設を持たない②保険や共済業界をまねて、掛け捨ての月会費をもらう会員制にすること。
各地域に子どもを預かるレスキュー隊員を配置。病気になった子どもをタクシーでかかりつけ医につれて行き、診察の結果、医師の許可が出たら預かる(当然症状が重ければ入院となる)。各地域には提携している小児科医を設け、預かっている最中に子どもの容態を相談できるようにもした。
設立に当たって苦労したのはスキュー隊員の確保。チラシ一万五千枚で一人決まるという確率だった。
また、利用会員はゲストではなく、同じ船に乗るクルーと位置づけ、地域社会の住民が互いに助け合うような相互扶助の組織であることを理解してもらってから、入会してもらう。そのため、クレイマーやモンスターペアレンツのような問題は生じていない。
日本では企業がNPOに寄付しても、税制上の優遇が無いため、広がりが無い。財務省が控除に反対している。一方で、フローレンスの成功を見た厚労省は、これをまねて緊急サポートネットワークを全国で行うことになった。
はじめはノウハウを盗まれたと怒ったが、一つの地域で成功したことを、多くの人がまねることで、社会全体が変えられることはいいことだと納得した。
そして「自分の地域・故郷を変えることで、社会全体を変えられる。日本はまだまだNPO従事者が少ないので、活躍できるチャンスが多い」と公益大生など聴講者にエールを送った。
講演後の懇談では、石田英夫教授が「社会起業家は一種の隙間産業」と解説した。筆者が「大都市東京と庄内では隙間の規模が違い、大都市の成功例を地方に持ち込むのは難しいのではないか」と問うと、駒崎氏は「成功のパターンは地域によって違うので、例えば徳島県の㈱いろどり(同県上勝町の高齢者たちが、日本料理を彩る『つま』として季節の葉や花、山菜などを売る葉っぱビジネスを展開する株式会社)のように、その地域に合った起業を探ることが必要」と答えてくれた。
さらに「社会起業は社会の課題解決を目的とするため、最終的には自らの仕事を無くすために活動している。しかし、事業を展開するうちに次々と新しい需要が出てきて、業態を変えながら存続していける」と感じているという。事実フローレンスも、両親がいる家庭に比べて経済的に苦しい、一人親家庭の病児保育をするための活動を始めている。
駒崎氏の当事者としての経験を踏まえた話は、第三者としてデータや調査を通して得た情報を分析・提示する講師たち―失礼ながら研究者やシンクタンク、記者等―に比べ、平易な表現ながらとても厚みがあった。よどみが無かった。
社会起業家育成講座は講師を変えて、十月九日、十六日、十一月十六日、十二月四日もある。いずれも公益大学敷地内の公益ホールで、午後六時半から無料で聴けるので、お薦めしたい。
東北公益文科大学では今年度、毎週と言っていいほど、各種の公開講座や講演会を精力的に開催している。黒田学長の意気込みが伝わるが、慶應義塾大学の人脈を基調とした講師陣は魅力にあふれ、庄内の人たちが最前線の研究者や経営者の話を直接聞き、さらに質問もぶつけられる好機となっている。
その一つ、既存の施策では解決できない地域社会の課題を企業的な手法で解決しようという「社会起業家育成講座」の第一回講演会の内容を掲載する。本来記事の予定だったので、記事体での掲載はご容赦を。
東北公益文科大学などでつくる社会起業家育成研究会(会長・石田英夫同大教授)の「社会起業家育成講座」が十月一日に開講し、病気の子どもを預かる「病児保育」のNPO法人「フローレンス」(東京都新宿区)の代表・駒崎弘樹氏=写真左から二人目、左端は石田教授、受講生と懇談中=が、酒田市の公益ホールで講演した。以下は駒崎氏の講演要旨。
フローレンスは、風邪で急に熱が出たなど、保育園では預かってくれない子どもを、「レスキュー隊員」と称する育児経験を持つ会員の自宅で預かる活動をしている。
多くの保育園は病気になった子どもを預からないため、働く母親にとって病児保育は「育児界の闇」という存在だった。そうした福祉の分野に経営的手法で変革をもたらしたのがフローレンス。
施設を持たずに地域の会員宅を使うことで運営経費を減らし、共済のような会員制による月会費の徴収によって経営を安定させ、経済的に自立した運営をしている。会費制は利用者の負担も減らした。現在東京二十三区で展開し、この十月からは千葉県に広げ、来秋には大阪でもスタートする予定。
最近は外資のJPモルガン、そしてリクルートや松竹などの法人が、人口減による人材難を見通して契約を結んでいる。JPモルガンでは「社員教育に一千万円をかけているのに、出産によって退職してしまうのでは、これから利益をもたらすべき人材を失うこと。これでは投資に合わない」として、安心して育児と仕事を両立できる環境を確保するために契約した。
フローレンス設立のきっかけは、ベビーシッターをしていた駒崎氏の母親が、突然契約を解除されたこと。聞けば、面倒を見ていた双子が相次いで病気になり、看護のために会社を休んだ双子の母親が解雇されたからという。
理不尽な現実に、駒崎氏は病児保育の現状を調査。多くの母親に合い、そのニーズの多さに事業化できると確信する。既存の育児関係者には無理だと言われながら、二年を経て二〇〇五年四月にフローレンスを設立した。
調査で浮かび上がったのは①子どもが病気になると会社を休まなければならない②子どもを看護するための休暇制度が欲しい③病気の子どもを預かるところがほしい―という声が多いことだった。
実際、全国に二万以上の保育園がある中、病児保育に対応している施設はわずか六百カ所しかない。
少ない理由は、病児保育施設は①経済的に自立できない②厚労省の補助金を使うと、十時間預かっても託児料を二千円しかもらえず、逆に制約が増える―からだった。都内で計算すると、一時間当たり三千五百円の託児料をもらわないと、人件費や施設運営費などの経費面から経営的に成り立たない。
このため、慶應大学で経営学を学んだ経験を生かし、新しいビジネスモデルを作って解決した。それは冒頭にも記した①施設を持たない②保険や共済業界をまねて、掛け捨ての月会費をもらう会員制にすること。
各地域に子どもを預かるレスキュー隊員を配置。病気になった子どもをタクシーでかかりつけ医につれて行き、診察の結果、医師の許可が出たら預かる(当然症状が重ければ入院となる)。各地域には提携している小児科医を設け、預かっている最中に子どもの容態を相談できるようにもした。
設立に当たって苦労したのはスキュー隊員の確保。チラシ一万五千枚で一人決まるという確率だった。
また、利用会員はゲストではなく、同じ船に乗るクルーと位置づけ、地域社会の住民が互いに助け合うような相互扶助の組織であることを理解してもらってから、入会してもらう。そのため、クレイマーやモンスターペアレンツのような問題は生じていない。
日本では企業がNPOに寄付しても、税制上の優遇が無いため、広がりが無い。財務省が控除に反対している。一方で、フローレンスの成功を見た厚労省は、これをまねて緊急サポートネットワークを全国で行うことになった。
はじめはノウハウを盗まれたと怒ったが、一つの地域で成功したことを、多くの人がまねることで、社会全体が変えられることはいいことだと納得した。
そして「自分の地域・故郷を変えることで、社会全体を変えられる。日本はまだまだNPO従事者が少ないので、活躍できるチャンスが多い」と公益大生など聴講者にエールを送った。
講演後の懇談では、石田英夫教授が「社会起業家は一種の隙間産業」と解説した。筆者が「大都市東京と庄内では隙間の規模が違い、大都市の成功例を地方に持ち込むのは難しいのではないか」と問うと、駒崎氏は「成功のパターンは地域によって違うので、例えば徳島県の㈱いろどり(同県上勝町の高齢者たちが、日本料理を彩る『つま』として季節の葉や花、山菜などを売る葉っぱビジネスを展開する株式会社)のように、その地域に合った起業を探ることが必要」と答えてくれた。
さらに「社会起業は社会の課題解決を目的とするため、最終的には自らの仕事を無くすために活動している。しかし、事業を展開するうちに次々と新しい需要が出てきて、業態を変えながら存続していける」と感じているという。事実フローレンスも、両親がいる家庭に比べて経済的に苦しい、一人親家庭の病児保育をするための活動を始めている。
駒崎氏の当事者としての経験を踏まえた話は、第三者としてデータや調査を通して得た情報を分析・提示する講師たち―失礼ながら研究者やシンクタンク、記者等―に比べ、平易な表現ながらとても厚みがあった。よどみが無かった。
社会起業家育成講座は講師を変えて、十月九日、十六日、十一月十六日、十二月四日もある。いずれも公益大学敷地内の公益ホールで、午後六時半から無料で聴けるので、お薦めしたい。
Posted by グルこぞ at 18:01│Comments(1)
この記事へのコメント
とてもよいお話を読ませていただきました。
こういった記事が載せられないというのはもったいないと思うと同時に、そのためにブログで読むことができたので何となく皮肉なものだなあとも感じました。
難しい子育てなどの問題を解決する一つの糸口をよくぞ見つけられたものだと感心しますが、それは「よく見れば見える」というものではなく「探さなければ見えてこない」ものを「必ずある」という信念のようなものをもって探っていった結果だろうと思います。
需要と供給を結びつけることはとても大変なことなのですね。
私も温海地区で、役場の嫁対策係りの事業を発端とし、現在は予算的には行政を離れて自分たちの手で結婚しようとの活動をしています。
得ようとしているのは自分のお嫁さんなのだから、ヒトのせいにすることなく自分でつかみ取るべく(遅々として進まないながらも)実力アップを図っています。
これも文中にあったように「なくなればいい」活動ですが、もちろん、自分自身が結婚できた時点で個人的には関係なくなることではあるものの、「自分だけがよければいいのか」と言えばそうではなく、そして心情的にもそう思えないために「自分のことをやりながらも他人の心配もしていなくてはいけない」というストレスのようなものを感じています。
地方で問題視されている「嫁不足の問題」は、ほとんどが「出会いのチャンスがない」という「いいわけ」を鵜呑みにした「対症療法」のようなもので、「あんたが女だったらあんたのとこに嫁に行きたいか?」と自問自答をして「否」と自分に突きつけられる人はまずいないのではないでしょうか。
「ありのままの自分を受け入れてくれる(すてきな)人」が見つかればいつでも・・・のようにいいながら、それでは自分は、ありのままの(寝癖のままの化粧もしない)女性をすてきと思うのかと言えばそうではない。
こういった問題の当事者たち(私を含め)はそれなりの年齢になっているはずで、過去の数年間を無駄にした思いを抱きながらも変化をおそれていると思います。
しかし私は、勇気を出して変化することによって、自分で無駄だと思った現在に至る過去の自分が「経験」として生きてくるのだと思います。
つまり、「二十歳の頃に戻りたいな」という悔恨は、「今の年齢でないと出せない魅力」で霧消するはずです。
この問題は実は行政がどうのこうの言うことではなく、各自が頑張れば何とかなることだと思います。
問題の性格上、そして当人たちの性格上解決することが難しいことではありますが。
でも、子育て問題と同じレベルのことではありますよね。
結婚と子育ての問題が解決すれば、世の中の様々な問題が飛躍的に好転しそうな気もします。
全国各地で私たちが行っているような「自分の実力を上げる活動」が興ればいいですね。
長々と失礼しました。
こういった記事が載せられないというのはもったいないと思うと同時に、そのためにブログで読むことができたので何となく皮肉なものだなあとも感じました。
難しい子育てなどの問題を解決する一つの糸口をよくぞ見つけられたものだと感心しますが、それは「よく見れば見える」というものではなく「探さなければ見えてこない」ものを「必ずある」という信念のようなものをもって探っていった結果だろうと思います。
需要と供給を結びつけることはとても大変なことなのですね。
私も温海地区で、役場の嫁対策係りの事業を発端とし、現在は予算的には行政を離れて自分たちの手で結婚しようとの活動をしています。
得ようとしているのは自分のお嫁さんなのだから、ヒトのせいにすることなく自分でつかみ取るべく(遅々として進まないながらも)実力アップを図っています。
これも文中にあったように「なくなればいい」活動ですが、もちろん、自分自身が結婚できた時点で個人的には関係なくなることではあるものの、「自分だけがよければいいのか」と言えばそうではなく、そして心情的にもそう思えないために「自分のことをやりながらも他人の心配もしていなくてはいけない」というストレスのようなものを感じています。
地方で問題視されている「嫁不足の問題」は、ほとんどが「出会いのチャンスがない」という「いいわけ」を鵜呑みにした「対症療法」のようなもので、「あんたが女だったらあんたのとこに嫁に行きたいか?」と自問自答をして「否」と自分に突きつけられる人はまずいないのではないでしょうか。
「ありのままの自分を受け入れてくれる(すてきな)人」が見つかればいつでも・・・のようにいいながら、それでは自分は、ありのままの(寝癖のままの化粧もしない)女性をすてきと思うのかと言えばそうではない。
こういった問題の当事者たち(私を含め)はそれなりの年齢になっているはずで、過去の数年間を無駄にした思いを抱きながらも変化をおそれていると思います。
しかし私は、勇気を出して変化することによって、自分で無駄だと思った現在に至る過去の自分が「経験」として生きてくるのだと思います。
つまり、「二十歳の頃に戻りたいな」という悔恨は、「今の年齢でないと出せない魅力」で霧消するはずです。
この問題は実は行政がどうのこうの言うことではなく、各自が頑張れば何とかなることだと思います。
問題の性格上、そして当人たちの性格上解決することが難しいことではありますが。
でも、子育て問題と同じレベルのことではありますよね。
結婚と子育ての問題が解決すれば、世の中の様々な問題が飛躍的に好転しそうな気もします。
全国各地で私たちが行っているような「自分の実力を上げる活動」が興ればいいですね。
長々と失礼しました。
Posted by ひろし at 2009年10月07日 22:36